IT時評:「次の一手を読む」

第3回「欧米に対抗できるメディア育成に必要な条件」
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日本総合研究所 研究事業本部 新保豊 主席研究員

(2006年4月13日掲載)

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 前回に続き、放送業界が背負っている問題にもう少し立ち入っておこう。振り返ってみると、放送業界の歴史は自分たちの利権を守る歴史でもあった。1968年に郵政省(いまの総務省)が「1県1置局」に転換し、地上放送は原則県単位の免許制としてきたことを見ればわかる。特殊事情があるとはいえ、いまどき県域免許が必要な業種などあるだろうか。時代遅れもはなはだしい。

 こうした現状を見るにつけ、わが国の放送市場は「最後の護送船団業界」という表現がぴったりだ。これでは5年ほど前に金融界を席巻したような再編の嵐には、到底立ち向かえない。まして、外資の攻勢にはひとたまりもないだろう。


在京キー局を頂点とする特殊なピラミッド構造

 放送には巨大な放送設備やアンテナが不可欠だ。また、電波の希少性ゆえに業界構造は、免許制を前提とした独占または寡占になっている。このため、テレビ局は日本テレビやTBSといった在京キー局(東京都に本社を置き関東広域圏を放送対象地域とする放送局)5社を頂点にし、全国127局がその下に従属するピラミッド構造になっている。

 このネットワーク(系列)化の一因として「番組制作能力」が挙げられる。良い番組を作るための資金力、人材をテコにしたわが国特有の現象だ。それはテレビ放送の草創期に、映画業界からの理解が得られなかったことにさかのぼる。

 米国では映画とテレビの両業界が競争しながら、ともに大きな産業に発展した。映画コンテンツはテレビ業界に不可欠だったし、映画業界もコンテンツ提供にビジネスチャンスを見出した。

 これに対して日本では、5社協定に参加していた映画会社が既得権を守ることに執着。テレビ局の番組制作に協力しなかった。映画会社が花形スターであった専属俳優を占有したため、テレビ局は自助努力を強いられた。その結果、テレビ局は他業界には真似できない番組制作能力をもつことになり、その能力にたけたキー局を頂点したピラミッドが形成されたのだ。


骨抜きにされているローカル民放局

 肥大化したキー局とは対照的に、ローカル民放局の存立基盤は脆弱(ぜいじゃく)だ。民放の全収入はおよそ2.3兆円。このうちローカル局は6,500億円程度に過ぎない。ここに94社がひしめいている。1社あたりの平均は70億円。独立した放送会社といっても、中小企業程度の規模だ。

 経営ノウハウも財務基盤もないはずなのに、地方の放送会社は倒産をしたことがない。キー局がさまざまな方法でローカル局を支援しているからだ。たとえばキー局が支払うネット保証料(分配金)は、ローカル局の収入の25〜30%を占める。キー局で作った番組をローカル局に売るなら、ローカル局がキー局に対価を支払うのが「普通の取引」だろう。ところが放送業界はその逆をやっているわけだ。キー局がネットワークを維持するためには、ローカル局が倒産しては困るからだ。これだけでも、放送業界のいびつな構造がわかる。

 ローカル局はいま、2011年の地上デジタル放送への完全移行を控え、膨大な設備投資を強いられている。その投資負担に耐えられないローカル局のどれだけが、生き残る体力と知恵を持っているだろうか。早晩、名実ともにキー局が放送局を複数支配する事態が予想される。

 再編が避けられない以上、ローカル局が自分の意思で他局との連携、統廃合が柔軟に行えるよう、地域免許制度の見直しは不可欠だろう。キー局は膨らみすぎた人材・経営ノウハウ、コンテンツなどを、ローカル局に回してはどうか。コンテンツ流通促進だけでなく、キー局の下請け状態にあるローカル局の自立につながるのではないか。


有名無実になっている「集中排除原則」

 特定の資本がさまざまなメディアを牛耳ることは民主主義の精神に反する。そこで特定の企業が複数の放送局を防ぐ仕組みが設けられた。これが最近報道でしばしば取り上げられている「マスメディア集中排除原則」(=複数局支配の禁止)だ。

 法律の話でやや難しいかもしれないが、放送番組の供給に関する協定の制限(放送法第52条の3)に「一般放送事業者は、特定の者からのみ放送番組の供給を受けることとなる条項を含む放送番組の供給に関する協定を締結してはならない」とある。ところがローカル民放局は、同じ系列の民放キー局という特定5社からのみ、放送番組の供給を受けている。これは、明らかに「マスメディア集中排除原則」に反する。


新聞社、民放キー局同士の特殊な結びつき

 加えて、新聞社との関係だ。「マスメディア集中排除原則」は「マスコミ集中排除原則」と同じことだが、日本では新聞社の放送局所有が常態化している。米国では、新聞社は同じ市場でラジオ、テレビを所有できない。

 日本の放送業界にも、「クロス所有規制」がある。テレビとラジオの兼営は認めるものの、新聞、テレビ、ラジオの3事業の支配は認めないというものだ。だが、これも形骸化している。日本では民放キー局はTBSを除いて、全て大手新聞社が大株主だ。新聞社の編集委員が系列放送局でコメントするなど当たり前になっている。

 少数のキー局が、放送ソフトの制作・編集権を握っているなど、実際の資本力を超えた支配力が発生していることは、広く認められるところだ。さらに、新聞とのクロス所有を事実上認めていることで、言論の多様化が損なわれているという見方もある。しかし、クロス所有をしないと各企業の経営が成り立たないというのも、また正しい。クロス所有規制が骨抜きになっているなら、実効的な方策を模索すべきだろう。

 いずれにせよ、マスメディアが正々堂々と政府をチェックできてこそ、私たちの社会は健全性が保たれる。残念ながら、このチェック機能を果たしているのは、日本では雑誌や週刊誌くらいだ。


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